COLUMN

男性に迫る変化、その現在と未来を掘り下げる~『男性危機(メンズクライシス)? 国際社会の男性政策に学ぶ』を読む | ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン

今村光一郎(WRCJ事務局)

男性をめぐるいろいろを分析

「男性危機」というフレーズから、皆さんは何を感じ取るでしょうか?

「男って今ピンチだよね」という共感でしょうか? 「男ってなんか危険だよね」という警戒でしょうか? あるいは「男を悪者にして危機を煽っている」と反発が湧いてくるでしょうか?

そうした感情を客観視したり、さらに多様な視点につなげられるという意味で、WRCJの関係者が執筆に関わった『男性危機(メンズクライシス)? 国際社会の男性政策に学ぶ』をご紹介します。

執筆者は、2人が共同代表、1人が監事、1人が会員です。WRCJ運営メンバーで執筆者に近い私の立場から、この本の魅力をご紹介したいと思います。


男性に迫る変化、その現在と未来を掘り下げる~『男性危機(メンズクライシス)? 国際社会の男性政策に学ぶ』を読む|ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン

『男性危機(メンズクライシス)? 国際社会の男性政策に学ぶ』
(晃洋書房)


「男性危機」ってなんだ?

「男性危機」とは、例えば何を指すのでしょうか?

男性が加害者になる凶悪事件の頻発、心身のケアへの軽視がもたらす過重労働など、男性がリードする組織・社会特有の危機を、本書では「男性危機?」として問題提起しています。

しかし本書は、これら危機がすべて男性の責任とする立場を取りません。国際社会や先進各国の取り組み、さらには日本社会のジェンダーを取り巻く動きやこれまでの推移、そして問題解決に向けた政策の中身など、網羅的にトピックを踏まえつつ読みやすく構成し、男性を起点としたジェンダーの新たな視点や政策を提示しています。

男性危機の現在と未来

「Toxic Masculinity=有害な男らしさ」そんな訳語で大丈夫か?(伊藤公雄)|ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン

見出しに沿って、ご紹介します。本書の第2・3章では、「男性主導の社会」の成り立ちとその行き詰まり、そして変化の必要を感じた国際社会の動きを紹介しています。「日本は男性社会」という指摘がたびたびなされますが、その歴史的背景や推移を含めて、とてもわかりやすい内容となっています。

一方、国際社会のジェンダー平等政策におけるポイントは、以下の2つの考え方が広がっているのこと。

1つは女性の地位向上のためには、女性だけでなく男性も変わる必要があること。ジェンダー問題は男女の関係性から生じていることから、男性にも変化を働きかけていくことがジェンダー平等に有効である、という認識が国際社会に広がっています。

もう1つは、従来から期待されてきた理想的な男性像や役割に、男性自身が苦しんでいるという視点。地域・社会活動への参加の少なさや長時間労働など日常生活の質の低さ、それによる不健康・社会的孤立などへの問題意識が深まっています。

これらの考え方によって、ジェンダー平等の促進は男性とっても有益であるという共通認識が広がっているのです。

第4章では、スウェーデンの政策事例が紹介されています。同国ではジェンダー平等が、省庁横断の総括的な政策課題に位置付けられており、政治が強い意志(ポリティカル・ウィル)をもってジェンダー平等やSOGI平等を進めています。行政だけではなく、行政のカウンターパートとして市民活動もさかんです。

第5章では、第4章までで紹介されている国際社会の先進事例と、日本のジェンダー政策を比較して考察しています。男性問題への対応の歴史や具体的な取り組みを、男性市民グループ、政府・自治体、民間事業者という3つの立場に分類し、紹介。

男性向けのジェンダー政策・取り組みの推移や蓄積は、これまでほとんど取り上げられてこなかっただけに、とても新鮮で示唆に富んだ内容となっています。

第6章では、ジェンダー平等の波に乗り遅れた(と言える)日本社会へ、男性ジェンダー政策の視点と処方箋がまとめられています。具体的な6つのポイントが提示され、男性対象のジェンダー政策の今後を考える道しるべとなる内容です。

『男性危機?』クエスチョンマークの意味

「Toxic Masculinity=有害な男らしさ」そんな訳語で大丈夫か?(伊藤公雄)|ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン

本書のタイトルは『男性危機?』とクエスチョンマークが付いています。これまでの一面的で紋切り型の男性像から離れ、男性が本来持つ多様性に向き合おうというスタンスが、このクエスチョンマークに示されていると私は感じています。

例えばスウェーデンでは、男性加害者向けに宿泊施設を設置しています。これは被害者ファーストを維持しながら、同時に加害者の更生と社会復帰を視野に入れた政策です。

私はこの例から「『困った人』は『困っている人』でもある」という格言を連想します。加害者へのケアをせず「困った人」のまま放置してしまえば、さらなる暴力や問題行動への連鎖となり、男性危機の深刻化につながります。そうした負のサイクルを脱し、ジェンダー平等社会の一員になれるような仕組みづくりを進めるスウェーデンに、学ぶところは大きいと考えます。

このことから私は、本書の『男性危機?』とは、これまで求められてきた男性像・男性性が「加害につながっている」あるいは「男性を被害者にしている」という二項ではなく、男性をめぐるもっと多様で複雑な危機を指していると解釈しました。

変化を迫られる男性へのケア

一方で本書には、さらなる調査や議論の余地もあります。例えば女性指導者やジェンダー平等的な組織の下で、男性たちはどのように「男性性の変容」を実現すればよいのか、その行程には触れられていません。

旧来の男性像や男らしさの価値観を捨てられない男性たちは、ジェンダー平等に向かう組織や政策へ反発を感じるでしょう。それをどう乗り越えればよいのでしょうか。自身の価値観が揺さぶられることの戸惑いや苦悩、あるいは怒り…それを軽減・解消するための処方箋についても、今後調査や議論がなされることを私は期待します。

そうした男性へのケアのステップが形作られていけば、中長期的な政策の全体像も見えてくるのではないでしょうか。

生き方のアップデートへのヒント

女性への加害とともに、男性へのケアの視点をゆるがせにはできないというのがWRCJの立場です。

運営に携わる者として、また生き方のアップデートへ手がかりを求める私のような若者にとって、本書がもたらす価値観や視座は大きなヒントになると、確信をもって感じています。