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ホワイトリボンキャンペーンKANSAIの時代~WRCJができるまでを知る3人へインタビュー(1) | ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン

【COLUMN】ホワイトリボンキャンペーンKANSAIの時代~WRCJができるまでを知る3人へインタビュー(1)

今村光一郎(WRCJ事務局)

女性への暴力撲滅を男性から発信する「ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン(WRCJ)」。

一般社団法人ホワイトリボンキャンペーン・ジャパンという形で始動したのは2016年。その以前を知る運営スタッフとして、多賀太、吉野太郎、小巻健の3人に、当時のいきさつやをWRCへ込めた思いなどを取材しました。

新人の運営スタッフである今村光一郎がインタビュアーを務めました。

内閣府の委託事業として開始

ホワイトリボンキャンペーン(WRC)が日本で本格的に始められたのは2012年。その旗振り役となったのは、DV被害や性被害・貧困などで困難な状況にある女性と子どもの支援を行う、「認定NPO法人女性と子ども支援センターウィメンズネット・こうべ」(注0)です。

内閣府が招へいしたクリス・グリーンさん(注1)の講演を聞いたウィメンズネット・こうべのみなさんは、内閣府の「平成24年度地域における男女共同参画連携支援事業」の公募の際に、「男性とともに取り組む、女性への暴力のない地域づくり ホワイトリボンキャンペーン・プロジェクト」を提案し、委託事業を実施しました(注2)。

ウィメンズネット・こうべ代表理事の正井禮子さんと理事の茂木美知子さんの働きかけは、3人にも届きました。2001年にWRCの創始者のひとりであるマイケル・カウフマンさん(注3)と出会い、「いつかこういう活動を自分がやらなきゃ」と思って過ごしていた多賀。正井さんから依頼を受けたことを「運命」と受け止め、検討委員会のメンバーを引き受けました。

吉野は、当時既に10年以上セクシュアル・ハラスメントに関わる運動を継続していました。尊敬していた正井さんから依頼の電話を受け、手伝いに行く感覚で参加しました。女性たちの運動に男性が関わることの繊細さを感じつつ、同じく検討委員会に加わりました。

小巻は、茂木さんと他の団体で共に活動する中で、ウィメンズネットの活動で大変な思いをされていることを感じていました。DV問題やジェンダー問題に関わったことのない自身でも参加できると思い、事務局のメンバーに加わりました(注4)

多大なご尽力をいただいた女性たちの活動のおかげで、3人が協力する機会が生まれたのでした。

ウィメンズネットが公募事業のタイトルに「ホワイトリボンキャンペーン」とつけて応募し採択されたことで、内閣府としても初めてのこの名前を冠した事業となりました。このことは画期的かもしれません。

ホワイトリボンキャンペーンKANSAIの時代~WRCJができるまでを知る3人へインタビュー(1)

神戸市三宮での街頭啓発キャンペーン

公開講座や神戸市三宮での街頭啓発キャンペーン、リーフレット2,500枚の配布などが行われ、当時のホームページから活動の様子をうかがい知ることができます。

ホワイトリボンキャンペーン・KANSAI

ホワイトリボンキャンペーンKANSAIの時代~WRCJができるまでを知る3人へインタビュー(1)

WRCKの学習会の様子

内閣府の委託事業が終了した2013年4月からは、任意団体「ホワイトリボンキャンペーン・KANSAI(WRCK)」として活動を継続しました。WRCKは、現在のWRCJの直接の前身です。企画委員会の座長は吉野でした。

公開学習会をほぼ毎月重ねたのち、同年12月のシンポジウム「つながろう! 女性への暴力をなくすために」(注5)に向けた準備で、3人はウィメンズネット・こうべのネットワークや資金獲得のノウハウの見事な様子に「さすが」と感心。気持ちを入れて取り組んだ吉野は、ご自身も活動を引っ張っていきたいという気持ちになりました。

ホワイトリボンキャンペーンKANSAIの時代~WRCJができるまでを知る3人へインタビュー(1)

2013年12月1日「つながろう! 女性への暴力をなくすために」

そして翌2014年からWRCKに復帰した多賀に、ともに共同代表として男性主体の動きを作っていこうと持ちかけます。そのとき多賀は、共同代表というやりかたはうまくいかないのではないかと心配をもらしました。

当時小巻は、「多賀さんが頑張って、吉野さんが知恵袋みたいな形で動くのがいいんじゃないか」と吉野に伝えました。この言葉に納得した吉野は、多賀を盛り立てて男性たちの自立した動きを始めていきたい、という気持ちを素直に表しました。

ウィメンズネット・こうべの影響のもとWRCKとして活動する中、WRCのムーブメントが始まったカナダのように「女性に対する暴力の防止を男性たちが訴える」という本来の理念に向かう気持ちが、3人の中に芽生えたのでした。

内閣府の事業で出会ってから2年。互いを信頼する気持ちと、WRCの啓発を男性の力で続けたい気持ちが、新しい活動へとつながっていきます。

ホワイトリボンキャンペーンKANSAIの時代~WRCJができるまでを知る3人へインタビュー(1)

ギタリストの小巻は演奏を披露することも

2014年に多賀が復帰したのちも公開学習会を続けました。この年、リーフレットを改め、「非暴力系男子」というキャッチフレーズを作るなどの新しい動きもありました。

ホワイトリボンキャンペーンKANSAIの時代~WRCJができるまでを知る3人へインタビュー(1)

2014年当時のWRCKのリーフレット

自立へ

WRCKとして活動を継続しつつ、3人は「自立」を決意して結束。本来のWRCの理念に立ち返り男性である自分たちが主体となるべく模索しながら、イベントや事務作業に勤しむ日々となりました。

4月からの半年間、小巻の職場に集まって会議を開きながら、分担して会計をしたり、助成金をいただくための申請書を書いたり…3人は自分たちなりのネットワークとアイデアで手応えをつかみつつ、12月の公開シンポジウムの準備を進めました。

活動の拠点だった兵庫県神戸市から離れ三木市に仮事務所を定めて、大阪府内でのイベントを積極的に企画。イベントの第1弾は、2014年12月14日の「男たちの非暴力宣言 -White Knight Project-」でした。吉野のネットワークで梅田の会場を設営したのち、大阪NPOセンターを間借り。環境も徐々に変化していきました。

のちのWRCJ共同代表となる伊藤公雄、安藤哲也らメンバーとの協力関係は2015年を通じて強まり、同年12月には「男性の非暴力宣言―ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン設立の集い」を開催。その後現在のWRCJへバトンが渡るまでのなかには、3人の地道な努力と模索がありました。

今村のまとめ

最後に、インタビュアーの今村が感じたリスペクトの気持ちをまとめます。
私がWRCJに加わるずっと前から、多賀さん、吉野さん、小巻さんの3人がホワイトリボンの灯を苦労して引き継いでこられたことを知り、葛藤を乗り越えて続けられたことが素晴らしいと感じました。

WRCKの時期に、主体になって取り組む男性たちとして動き始めたお話を聞いていると、それぞれ自立していながら信頼の絆で結ばれた、頼もしい先輩たちだと思えてきました。

さらに、ウィメンズネット・こうべのみなさんの活動の幅広さ、的確さには、改めて日本での「ホワイトリボンキャンペーンの産みの親」として敬意を表します。

男性たちに非暴力を訴えるとき、最初にイニシアチブをとった正井さん、茂木さんの思いと動きがあってこその現在なのだと、しみじみと感じました。

次回コラムでは、WRCK時代から続く3人の信頼関係を、エピソードトークを交えながらお伝えします。ごくありふれたやりとりから、男性たちの市民活動が広がる様子を鮮やかにイメージしていただければ幸いです。


■脚注

注0 ウィメンズネット・こうべ…1992年4月に男女平等と女性の人権の擁護をめざして発足されました。「女性や子どもへの暴力」被害者相談・支援事業を中心に、シェルターの拡充やその後の居場所づくり、居住支援、ウィメンズハウスの設立を進めていらっしゃいます。

注1 クリス・グリーン…英国でのホワイトリボンキャンペーンの理事を務めるメンバー。2012年5月に内閣府主催の「欧州評議会 女性に対する暴力及びドメスティック・バイオレンス防止条約について」にて講演されました。男女共同参画局による詳細はこちら

注2 「男性とともに取り組む、女性への暴力のない地域づくり ホワイトリボンキャンペーン・プロジェクト」は1年間の事業でした。公募通過を受けて19の連携団体が加わり、15名からなる検討委員会が設置されました。実際に会議を開いて活動された半年間は、検討会議、ポスターの作成、ホームページの開設、街頭活動の実施など、みなさんが精力的に活動されました。実績のある女性団体が「ホワイトリボン」に適った実施内容で活動するには、団体をサポートする立場でともに取り組む「男性」のメンバーを募る必要がありました。

注3 マイケル・カウフマン…カナダでホワイトリボンキャンペーンを創始した男性3人のうちのお一人。2001年3月から4月にかけて来日され、全国6ヵ所で講演を開かれました。

注4 小巻がホワイトリボンキャンペーン・プロジェクトに参加したきっかけについては、『男性の非暴力宣言 ホワイトリボンキャンペーン』

注5 「つながろう!女性への暴力をなくすために」…2013年12月1日、あすてっぷKOBE(神戸市男女共同参画センター)にて開催。湯浅誠さんが基調講演を行い、安藤(現WRCJ共同代表)がパネリストとして、吉野がコーディネーターとして関わりました。