文:伊藤公雄(WRCJ共同代表)
森発言で注目度上がった「ジェンダー平等」
今年2月の森喜朗・東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長(当時)の女性差別発言で、思わぬ「ジェンダー」効果が生じた。私たちホワイトリボン・キャンペーン・ジャパンも直ちに声明を出し、新聞をはじめ多くのメディアの注目を受けた。
※【緊急声明】森喜朗・東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の発言に抗議します
ホワイトリボンキャンペーン以上に「プラス」になったのは、「ジェンダー」や「ジェンダー平等」という言葉だったと思う。とにかく、テレビでも新聞でもこれらの言葉が飛び交ったからだ。
21世紀の初めにメディアを騒がせた「ジェンダー・フリー・バッシング」のことを、時代の流れの中で反省する暇もないメディア業界は、ほんの15年で、あの時代のことをすっかり忘れてしまったかのようだ。
ある新聞は、社説で「我が社は今後、紙面でジェンダーという用語は使用しない」と宣言したほどの大騒動だった(この新聞も今は平然と「ジェンダー」という用語を乱発しているのだが)。森発言を契機に「ジェンダー」や「ジェンダー平等」が市民権を得たということだろう。
「社会的・文化的性差」─ほぼ合意を得たジェンダーの概念
ジェンダーについては、すでに多くの人がその意味について理解されていると思う。日本では「生物学的性差であるセックスに対応した、社会的・文化的に構築された性別のことをジェンダーと呼ぶ」というのが、ほぼ合意を得たジェンダー概念の意味だからだ。(もっとも現在では、このジェンダーという言葉、生物学的性差を含む形で用いられることもあるし、日本で定着している意味付けだけで捉えると、わけがわからなくなる時もあると思う)。
流行中(?)の「ジェンダー平等」だが、おそらくカタカナの「ジェンダー」と漢字の「平等」をつなげて使用したのは、私が最初だったのではと思っている(もしかしたら私より先に考えた人がいたかもしれないが、私はこの「ジェンダー平等」を考えた時には、他の場所で見たことはなかった)。
共同参加? 共生? 協働? 曲折を経た「男女共同参画」
20数年前、大阪府の男女協働社会づくり審議会で、府ジャンププランの策定中の時期だった。1996年に「21世期男女共同参画ビジョン」が政府から出され、1999年には「男女共同参画社会基本法」が制定された直後だったと思う。初めて「男女共同参画」の名前が登場したのは、1996年の「ビジョン」だったはずだ。
それまで日本における女性問題(90年代までは婦人問題)についての用語は、「男女共同参加(型)社会」とか「男女共生社会」など、この時期作られた「造語」で表現されていた。理由は、戦後長く使われてきた「男女平等」に対して、保守系の政治家の方々が反対したからだろうと思う。
「男女共同参加」だと「ただ参加すればいいということか」という批判があり、また「男女共生」だと「男女の役割分担を前提にしているように見える」と言われ、苦労の末に生み出されたのが「男女共同参画」(単なる「参加」ではなく、「意思決定も含む参加」という意味付けがなされた)という言葉だった。
ところが、「なぜ、男女平等という言葉を使わないのか」という声が、革新政党系の女性団体から出された(これについては東京都や北海道では「男女平等参画条例」など、「男女平等」と「共同参画」を合成した用語を用いた自治体もあった)。
興味深いのは、バックラッシュが始まった21世紀初頭、今度は右派勢力から「男女共同参画は変な日本語だ。男女平等でいいじゃないか」という声が起こった。ちょっと変に見えるかもしれないが、事情を知っているものには実はわかりやすいことでもある。
戦後、文部省は男女平等の定義を、旧教育基本法の5条「男女共学」の「男女は、互いに尊重し、協力しなければならない」に基づいて、対応してきたからだ(教育基本法改正時、当時の文科大臣も「教えるべき内容」の「男女の平等」の定義を聞かれた時、この言葉で対応しているので、教育分野では未だこれが男女平等の定義なのだろう)。
これなら本格的な男女平等とはかけ離れたもので、保守派も「納得」できるということだろう。
「男女共同参画(ジェンダー平等)」へたどり着くまで
この時期、大阪府の審議会は、元々使用していた「男女協働」か「男女平等」か、さらに「男女共同参画」のいずれを使うかで混乱した。そこで、私が考えたのが、男女共同参画の説明として「ジェンダー平等」をつけるという提案だった。
背景には、日本政府の「男女共同参画」の英語表現=Gender Equalityがあった。政府の用語の男女共同参画に「平等」の表現を加えるという工夫だ。そこで「男女共同参画(ジェンダー平等)」という表現が生まれた。
大阪府はパブリックコメント向けに、この「男女共同参画(ジェンダー平等)」をしばらく使っていたが、議論の中で「男女平等は法律上の定義はないが、男女共同参画は基本法に定義があるので、男女共同参画を使うべきだ」という弁護士の委員の一声で、最後は「男女共同参画」の使用に落ち着いたという経過だった。
府のプラン策定後、私は政策立案など行政関係の時には、法律上の定義のある「男女共同参画」を性差別撤廃の運動においては「ジェンダー平等」を使おうという提案をしてきた。今では立憲民主党、日本共産党、社会民主党は政策の記述は「ジェンダー平等」で一致しているし、自由民主党からも、森発言以後は「ジェンダー平等」を使う人も出てきている。「命名者(自称)」としては、本当に「よかった」と思っている。
性の多様性にも目配りできる「ジェンダー平等」
付け加えると、実は「けがの功名」もある。男女共同参画は、「男女」と性別が2つしかない表現だ。でも「ジェンダー平等」なら、SOGI(性的指向および性自認)の多様性にも目配りできるからだ。実際、台湾ではそれまで「両性平等教育法」など「両性」を使っていたのを、2004年に「性別平等教育法」に改正した。「両性」だと男女の二項だが、性別=ジェンダーなら、性の多様性を含むという判断だったようだ。
というわけで、最近は「ジェンダー平等の命名者」として、この言葉を次のように位置付けようという提案をしている。つまり「ジェンダー平等は、男性主導の社会の仕組みを転換し、男女二項図式に基づく差別や偏見、排除の構造を根本的に転換することによって達成される」。
※当ページ掲載の各画像はイメージです。
※編集・構成:松田明功(WRCJ事務局 / スタジオ・ボウズ)